一夜明けて
吉井和哉の年末武道館の次の日は、なんとも言えないスッキリ感が有る。
今年のテーマは「始まりと終わり」だったようだけど、終わりと始まりの境目を観た(聴いた)気がした。
ファン投票の結果に基づいたセトリは本人も「今日は明るい曲は有りません」と自嘲気味に表現していて、ソロの初期の色合いが強かった。極端に言えば、何年か前のYOSHII LOVINSONスーパーライブを観ていたら、今年の年末公演をパスしても良いくらいに感じた。
が、やる曲は昔のやつでもやり方は変わっていた。変えてみようとしていると感じた。
終わりよりも始まり、もう始まっているライブだった。
相変わらず吉井和哉はちょっとずつちょっとずつ積み上げていた。
ひとつ勝手な希望を書くとすると、バンドの音はそろそろ鋭くなる感じで聴いてみたい。
天邪鬼その2
洋館が保存されている界隈で、キャンドルを使ったライトアップがあると聞いて出掛けた。夕方を前にボランティアと思われる方々がキャンドルを並べて行き、太陽の姿が見えなくなる頃から一つずつキャンドルに灯を点けていった。
キャンドルの灯を見たかったのは確かだけど、同時にいい写真が撮れると良いなとも思っていた。が、キャンドルを見るのも全体の写真を撮るのも止めてしまった。強めに吹く風の中中腰になって一個ずつ灯を点けていく人々と、カメラの三脚をベストポジションに据えてそれが終わるのを待つ人々、そして遠巻きからそれをぼんやり見る私。始めの方で灯が点いたものの中には風のせいで消えてしまっているものも出て来る。どうにも居心地が悪くなってしまった。火を扱うことだから、関係者以外が大勢関わるのはそれはそれで不都合が有るだろうが、灯を点ける人と観る人(撮る人)の境界が同じ目の前ではっきり分かれているのがどうにも嫌になった。ということで何となく、洋館がある敷地の出口付近でキャンドル一つのみを撮影。
「撮るのもを見るのではなくて、見たものを撮る」ということを考えた。まずはその場を楽しむことが有って写真が有る。何事も過ぎ去って行くので、「お、これは」と感じた瞬間はもう戻らないし、その瞬間を写真におさめようとした時はもう遅いのかもしれない。が、やっぱり自分の目と感覚が有ってその後に写真が来るのは変えられないなと思う。